┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
*** 白子屋 メールマガジン ***
https://www.shirokoya.com/
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 第 10号 ━━━┛
伊勢の國「松坂」は射和(いざわ)の和洋菓子・白子屋が発行するメールマガ ジンです。
このメールマガジンは、白子屋のある射和を中心に、松阪、伊勢の国を 旅するコラムを
メーンに構成しています。
読者の皆さまに、コラムをお読みい ただくうち、この土地が育んだ風土を少しでも感じ
取っていただければと願っ ています。
白子屋店主 白子 繁
■□------------------------------------------------------------------
□ 歳時記 水屋神社のお水祭り(飯高町赤桶)
----------------------------------------------------------------■□■
11月9日、戦国時代の1577年以来、途絶えていたという「水屋神社のお水祭り」 が復活しました。実に425年ぶりということです。
この祭りは、神社の西約700mのところにある「閼伽桶(あかおけ)の井」で くんだ水を奈良の春日大社への奉納するという行事。起源は平安時代の貞観元年
(859)の11月9日と伝えられています。約700年も続けられていたのですが、 戦国時代に起きた兵乱を機に途絶えていました。
祭りは、11月9日の未明、10人ほどの下帯姿の男性と白装束の女性が禊ぎ場で 体を清めた後、境内に入って神事をおこなう場面から始まります。
神事を済ませれば、いよいよ、お祭りのクライマックス。 松明(たいまつ)を先頭に、神主と男女が閼伽桶(あかおけ)の井まで御水を 汲みに出掛けます。御水は、社殿に置かれた2つの赤桶に入れられ、春日大社
へと贈られます。 春日大社では、「神事用の御神水」として大切に活用されるということです。
425年ぶりにおこなわれた神事が始まろうというこの夜は、風雨荒れ狂うあいにく の一夜。しかし、祭りの参加者が身を清め、御水を汲みに出掛けようとしたまさに
そのとき、それまで激しかった風雨はぴたりとやみました。 神意というところでしょうか。不思議なもので、皇太子さまと雅子さまが成婚され 伊勢神宮に結婚のご報告にお見えになったときも、そうでした。近鉄宇治山田駅
に到着されるまで大雨でしたが、ご到着されたあたりから雨は上がり、外宮への 参拝はなんなくおこなわれました。
話を御水に戻します。御水は、午前3時半ごろ、水屋神社を出発。県境を越え、 奈良の春日大社へと向かいました。御水を入れた赤桶。水屋神社のあるのは
飯高町の赤桶(あこう)という所ですが、地名の由来はこのお祭りにあるので はないでしょうか。
それにしても、なぜ、わざわざ、三重県から奈良まで水が送られたのでしょうか。 一説には、大仏や寺社の建立が度重なった奈良では、仏像のメッキに欠かせな
かった水銀を大量に用いられたため、清らかな水の確保が難しくなっていたのが 原因ではないかといいます。高見峠をはさんだ、大和と伊勢との交流は古くから
活発に行われてきましたが、水を介した交流もまた貴重な営みです。
いまも水屋神社のすぐ脇を流れる清らかな櫛田川をぜひご覧ください。 そして機会あれば高見山はじめ、周囲の山々へも足を延ばしてみてください。
自分の足で歩き、山々の風景を眺めれば、伊勢と大和の深いつながりがなお一層 見えてきそうです。
水のお話とは異なりますが、境内の大楠は見事です。樹齢1000年、根の回り29 メートル、樹高も35メートルという巨木です。自然に恵まれた境内ですので、
数多くのムササビが生息し、夕暮れ時に姿を見せるムササビを見物に訪れる人 も多いようです。
アクセス 車 松阪市街地から国道166号を約30キロ。 三交バス 松阪駅前から飯南波瀬線に乗り、向赤桶下車すぐ。所用時間約40分
■□------------------------------------------------------------------
□ 櫛田川
----------------------------------------------------------------■□■
飯高町から三重県の中央部を流れ伊勢湾に注ぐ櫛田川。古代より文化と経済を 運びました。 縄文時代に用いられていた石器が飯高町赤桶から櫛田川をくだって、松阪の広
瀬町、御麻生薗(みょうぞの)町、多気町の相可にかけての遺跡からおびただ しく出土しています。 この石器は、大和で大量に用いられていたものと同じですから、大和の文化が、
縄文時代にすでに、櫛田川の川づたいに伊勢湾地方にまで広まっていることを 示します。 生活文化と技術を伝え、やがては大陸から大和朝廷に渡来した機織りの技術が、
今度は伊勢神宮に奉納する麻と絹を織る、松阪の機殿(はたどの)へとつなが る。
経済という点でも、丹生(勢和村)の水銀が射和の商人を介して流通し、豪商 を生む。 まさに、文化と経済の道だったのです。
■□------------------------------------------------------------------
□ 編集後記
----------------------------------------------------------------■□■
わがまち・射和を流れる櫛田川。この川を上流から河口までドライブしてみる のもいいかも。現代、わずか1時間半ほどで突っきってしまう道のりかもしれま
せんが、縄文のときより悠久の時の流れがこの川にはあるのです。 たまには、それが感じれるよう、急がない旅をしたいものです。
☆―――――――――――――――――――――――――――――――――☆
※このメールの配送の中止をご希望される方は、こちらにアクセスしてい ただき、https://www.shirokoya.com/mail_maga.html
メールマガジン配 信解除をお願いいたします。
☆―――――――――――――――――――――――――――――――――☆
株式会社 白子屋
〒519-2145 三重県松阪市射和町566-4
TEL 0598-29-2118 FAX 0598-29-2207
URL <https://www.shirokoya.com/>
E-mail <info@shirokoya.com>
|