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、祇園祭り、祇園祭、松阪、
射和祇園まつり

  祇園まつりは平安時代の京都で始まった祖先の霊をまつる御霊祭(ごりょうえ)に由来し、京都の八坂神社の祭りが波及したとのことです。 射和祇園まつりは、伝旧暦の6月13日と14日に行われていました。
令和6年は7月13日(土)、14日(日)に開催されます。
今回は例年と比較し、相対的に時間を短縮して祭りが行われる予定でございます。
射和祇園まつり
射和祇園まつり
地元の若衆に担がれた、2基の神輿(みこし)が激しく揺らされながら町中を練り歩きます。
射和の祇園まつりは、元禄のころに始まったもので、いまも当時の伝統にのっとった 形で行われています。 射和の街には6つの祭組があり、それぞれに幟や大屋台、小屋台を持っています。各組では宵宮の日の朝から幟を立て、屋台を組む。午後時ごろ、子どもたちの小屋台が 神社の下の道に勢ぞろい、儀式を済ませたみこしが神社の石段を下り降り、街へ繰り 出します。 夕方、みこしが納まると、いよいよ、大屋台の引き出しが始まります。 「イー、ヨー、ソー、ロー」という掛け声と共に若衆が引く大屋台が夕闇迫る街に出 ると、お祭りムードは最高潮を迎えます。
同じ日に松阪祇園まつりがあります。射和は松阪の郊外にありますが、旧市街地の松 阪祇園まつりに張り合うように行われているところが、射和の射和たるゆえんでしょ う。 松阪と言えば江戸時代に江戸に出て有名になった松阪商人が有名ですが、この多くは 射和の出身。というのも、射和は室町時代から伊勢白粉の産出による交易で豊かな経済力を身に付け、江戸時代には豪商屋敷が建ち並びました。そんな豊かな街だからこ そ生まれたパワー。それが大きな屋台やみこしを出す経済力だったのです。 現在の射和っ子もまた、先人たちの伝統を守ることに熱い情熱を持っています。
射和祇園まつり
神輿は若い衆が担ぎ、お囃子は子どもたちが担当するのが昔からのならわしです。
射和祇園まつり

宵宮
は、小屋台(飾屋台)、大屋台(曳屋台)あわせて12台の屋台の提灯や掛行燈に灯が入り、射和の夏の夜を明るく映し出します。祭りの日には、町内約250軒の軒先に提灯が下がります。
行列
神輿
山車 
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日も傾きかけた頃、御神体である神輿が伊佐和神社に戻され、一年で最大の祭、「祇園まつり」は幕を閉じます・・・。

【見どころ】
●宵宮 7月13日 午後1時〜午後10時まで2基のみこしが街に繰り出す。夜、大屋台、小屋台の提灯に灯がともされる。
●本日 7月14日 午後8時ごろ、みこしに続いて、灯をともした屋台がお囃子とともに従 う。


*** ご機会があれば、是非お越し下さい。 ***


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