さて、なぜ「歳時記」の初回にここを選んだのかと申しますと、当店が店を構える「射和(いざわ)」が、ここ丹生と深い関わりがあるからです。
その昔、射和は商人の町として栄え、三井家(のちの三越)や「K&K」の国分家をはじめ、多くの豪商を育てたことは”歴史の散歩道”でもご紹介しましたね。
丹生で採掘された水銀は、近くを流れる櫛田川を下り、射和に運ばれました。水銀の精錬・加工をする一方、それを原料に化粧品や医薬品として珍重された射和軽粉(伊勢おしろい)を製造し、これにより射和の商人は莫大な財をなしたと云われています。
残念ながら今では資源の減少などにより休山していますが、当時の採掘跡近くまで行くことができます。日が暮れかけると、恐しささえ感じるような山奥でした・・・。
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